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神戸地方裁判所 昭和54年(ヨ)446号 判決

債権者(選定当事者) 野村忠久

債務者 共和梱包株式会社

主文

本件仮処分申請を却下する。

申請費用は債権者(選定当事者)の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  債権者(選定当事者、以下「債権者」という。)

1  債権者及び別紙選定者目録記載の選定者らが債務者に対し雇用契約上の地位を有することを仮に定める。

2  債務者は債権者及び別紙選定者目録記載の選定者らに対しそれぞれ昭和五四年八月三一日(但し、選定者浜康弘については同年九月一日、同梶智城・同中島年紀・同吉川良徳については同年七月二七日)から本案判決確定に至るまで毎月二五日限り別紙賃金債権目録記載の各金員を仮に支払え。

二  債務者

主文第一項と同趣旨。

第二当事者の主張

(申請の理由)

一  債務者(以下「債務者会社」ともいう。)は、梱包などを業とし、肩書地に本店をおく株式会社である。

債権者及び別紙選定者目録記載の選定者ら(以下「債権者ら」という。)は、いずれも債務者会社に雇用された従業員であり、兵庫県下に所在する中小企業等の労働者約五、四〇〇名で組織する総評全国一般労働組合兵庫地方本部の共和梱包支部(以下「組合」という。)の組合員である。

二  債務者会社は債権者らに対し次のとおり予告解雇または即時解雇(以下「本件解雇」という。)の意思表示をした。

1 債権者及び別紙選定者目録記載の選定者のうち、浜康弘、梶智城、中島年紀及び吉川良徳を除く選定者らに対しては、いずれも同年七月二九日、内容証明郵便をもつて同年八月三〇日限り解雇する旨の意思表示をなし、右書面はいずれもそのころ債権者及び右選定者らに到達した。

2 右浜康弘に対しては、同年七月三〇日、内容証明郵便をもつて同年八月三一日限り解雇する旨の意思表示をなし、右書面はそのころ右選定者に到達した。

3 右の梶智城、中島年紀及び吉川良徳に対しては、いずれも同年七月二五日、内容証明郵便をもつて同年七月二六日限り解雇する旨の意思表示をなし、右書面はいずれもそのころ右選定者らに到達した。

三  本件解雇の無効

1 会社解散の無効

(一) 債務者会社は、昭和五四年六月一二日開催の臨時株主総会において業務停止を決議し、更に同年一一月二七日開催の定時株主総会において会社解散の決議(以下「本件解散決議」という。)をしたことを本件解雇の理由としている。

(二) しかしながら現代の企業は多数の従業員を雇用して生産や流通にかかわる営業活動を行つており、そこで働く多数の従業員やその家族の生活が企業の存在に依存しているのであるから、企業は経営者や株主の打算のみによつてその存廃を決することの許されない社会的責務を負い、したがつて、会社解散も、全くその恣意に委ねられているものではなく、もつぱら組合破壊の意図による場合又は経営者や株主の利益のみを追求し組合との事前協議や同意を得る手続を約しながら、右手続を経ずに行われた場合には、解散自体権利の濫用として無効になるというべきところ、本件解散決議は、後記2(二)及び3掲記のとおり経営者や株主の利益追求と組合の破壊を目的としてなされたものであるうえ、「会社の解散は絶対に行わない。」旨の昭和五一年一一月二〇日付労使協約に違反し、かつ後記2記載のとおり労働協約にも違反しており、権利濫用として無効である。

(三) 仮に本件解散決議が無効でないとしても、債務者会社の株式四二万株のうち三分の一以上の株式を、その一族で保有する株主舟元義雄は、右定時株主総会において、「魚崎工場を組合に渡して組合と話をつけるべきである。」旨述べて組合の同意を得ることを条件に本件解散決議に賛成したものであり、同人の賛成がなければ右解散決議は成立しておらず、したがつて、本件解散決議は会社解散につき組合の同意を得ることを停止条件として成立したものというべきところ、債務者は右解散につき組合の同意を得ていないから、本件解散決議はいまだ効力を発生していない。

(四) したがつて、このような無効もしくは効力未発生の本件解散決議を前提としてなされた本件解雇の意思表示は無効である。

2 労働協約違反

(一) 解雇同意約款違反

債務者会社と組合との間に、昭和四三年五月一日、「会社が従業員を解雇するには事前に組合の同意を得ることを要する。」旨の解雇同意協約が成立した。

もつとも、同日付の労働協約三条には、「会社は、組合員(従業員)の賃金や労働条件、諸規定の改廃、変更、解雇、配転等については、事前に組合と協議の上、決定する。」と規定され、右文言からすると、債務者会社と組合との間に解雇協議協約が成立したように受け取れる。

しかしながら、右協約締結の際、債務者会社から、組合に対し「同意」という文言が記載されると対外的な信用に悪影響を与えるおそれがあるので、右文言の記載を省略して欲しい旨の要請があつたことから、その表現上「組合の同意を得る」旨の記載を省略した経緯があり、すると、右協約三条は本来同意約款の趣旨で締結されたものであり、それゆえ、その後の配置転換、労働条件の変更及び工場の閉鎖、売却等にあたり、債務者会社は右趣旨に従い組合の同意を得たうえで行つてきているものである。

しかるに、債務者会社は、本件解雇にあたり、組合の事前の同意を得ていないから、本件解雇の意思表示は、右の労働協約に違反し、無効である。

(二) 解雇協議約款違反

(1) 仮に右の労働協約の規定が解雇協議約款であるとしても、本件解雇は、企業閉鎖に基づく全員解雇を企図したものであるから、会社の経営状況等をふまえて十分な協議を重ねたうえ実施すべきところ、以下のとおり、十分な協議は実施されなかつたものである。

(2) 経営危機の原因

a 経営者の無能力

会社は、昭和一一年一〇月、小田竹松によつて設立され、昭和四七年六月末まで同人の養子小田彰が代表取締役を務め、経営に尽力してきたが、その退任後、同人の義弟である小田嘉三郎(現、代表清算人。以下「嘉三郎」ともいう。)が会社の実権を掌握するに至つたところ、同人は、もともと債務者会社と関係がなく、昭和三七年に相談役就任後も、小田彰の右退任までは非常勤で、時に、営業以外のことで相談に乗るという程度に過ぎず、元来、会社の業務である梱包業を忌み嫌い、梱包業の廃止を切望し、これを発展させる考えは毛頭なかつた。

それで、前記小田彰退任後、二〇年以上にわたつて営業面を支えてきた取締役大西儀作が、その後任に選任され、梱包業の多角化を目指して脱繊維梱包とそれに伴う技術革新のため鋭意経営努力を重ねてきたが、これに対し、嘉三郎は、昭和四八年末一時金と合理化について意見が相違したことから、同年一一月末、右大西を辞任させ、更に、翌四九年三月、同様に営業面に貢献のあつた取締役営業部長岡田匡彦をも辞任させたが、右両名の辞任は会社にとつて大きな損失であつた。

大西代表取締役退任後企業閉鎖に至るまで、島村正太郎、小寺沢清、細野浩、小田勉(小田彰の長男)らが順次代表取締役に就任したが、いずれも、小田嘉三郎の指示によるかいらいにすぎず、同人に相談なしに経営方針を立てることができなかつたため、経営意欲を阻害され、経営努力を完全に放棄してしまつた。

前記大西、岡田の両名以外にも、昭和三二年から昭和五三年に至る約二〇年間に、嘉三郎を頂点とする小田一族は、自己の気に入らない人物を次々と会社から排除し、その結果、三〇名に及ぶ経営担当者及び幹部従業員が一般事務員及び現業員を伴つて独立し、経営の基礎となる得意先と人材が流出したため、債務者会社はその経営に多大の損害を被り、そのため、昭和四七年以降著しい経営困難に陥つた。

b 会社資産の食い潰し

債務者会社の経営者は、いわゆるお手盛りで退職慰労金を増額し、これを会社資産の処分によつて賄い、もつて、その資産を食い潰してきたものである。

すなわち、債務者会社の取締役会は、昭和三八年に右慰労金の額を従業員退職金規定による金額の二倍と決定し、更に、前記小田彰が退任した昭和四七年には、勤続二〇年以上の者に対し右金額の七分の八倍の慰労金を支払うことを決定した。

それで、右小田彰は当時中小企業経営者としては考えられない程の金五、〇〇〇万円という高額の退職慰労金を取得し、また、昭和五二年にも、相談役を退任した小田嘉三郎に対し退職慰労金一、〇〇〇万円が支給されたうえ、更に、功労金として金二、〇〇〇万円が加給され、かつまた、取締役を辞任した小田勉と島村正太郎の両名に対しても合計金五、〇〇〇万円の退職慰労金が支給されたが、これらはすべて債務者会社所有の福島工場(昭和四七年七月売却)、本社三宮工場(昭和五二年七月売却)及び栄町工場(昭和五四年五月売却)をわざわざ売却してその売却代金から出捐されたものであつた。

しかも、小田嘉三郎は右相談役退任と同時に参与に就任して引続き同じ職務を担当し、また、右小田、島村両名も、昭和五二年八月二七日に一日取締役を退任して直ちに相談役に就任したが、昭和五三年五月三一日には再び取締役に選任されているのであるから、これらの者に対し前記退職慰労金等を支給すべき実質上の根拠を欠いているというべきである。

このように、債務者会社の経営者は、昭和四七年以来合計一億三、〇〇〇万円もの大金を従業員の犠牲のもとに私腹し、会社を食いものにしたものであり、常軌を逸したものというほかない。

(3) 会社の経営状況

a 資産(債務不超過)

会社は、輸出用繊維製品の梱包を主体に営業を行つてきたものであり、昭和四七年ころからドル・シヨツク、オルル・シヨツクの影響を受けて輸出が激減したため売上げが低下し、第五一期会計年度(自昭和四六年一二月一日、至昭和四七年一一月三〇日、以下会計年度を「第五一期」等と略称する。)から営業損失を出すに至り、昭和五一年一一月三〇日に終る第五五期における繰越損失は金二億円余りとなつたが、第五六期に本社三宮工場を売却したことにより右繰越損失は実質上消滅した(もつとも、決算書上は第五六期も金四、八六一万円余りの繰越損失が計上されているが、これは特別損失として買換資産特別引当金三億三、三七〇万円を計上したためであり、実質上は金二億八、五〇八万円余りの繰越利益となる)。

昭和五三年九月三〇日に終る第五七期(本期から、期末を毎年九月三〇日に繰上)においては、当期損失が金一億九、五三三万円余りであるが、右実質上の繰越利益を考慮すると金八、九七四万円余りが同期繰越利益となる。続く第五八期においては、栄町工場の売却益金二億円余りと前記買換資産特別引当金の戻入れにより当期利益として金一億九、八〇八万円余りを計上しているが、右戻入れがなければ、金一億三、五六一万円余りの当期損失となり、これから第五七期の実質上の繰越利益金八、九七四万円余りを控除すれば、第五八期繰越損失額は金四、五八七万円余りである。しかし、第五六期から第五八期までの間に、前記小田嘉三郎、小田勉、島村正太郎に対し不当な退職慰労金等合計金約八、〇〇〇万円が支払われているから、これを控除すると、第五八期においては、実質的には約三、四〇〇万円の繰越利益が存することとなる。

次に、債務者会社は最終的に債務超過の決算を行つているが、これはその資産ことに魚崎工場と湊町工場を過少に評価しているからであり、これら工場を正当に評価すれば(前者の時価は金四億五、〇〇〇万円、後者のそれは金二、〇〇〇万円以上である)、昭和五四年九月現在において少なくとも金三億九、〇〇〇万円の資産超過となるわけである。

すると、債務者会社は、債務超過ではなく、倒産に瀕している事情は全くない。

b 再建の可能性

債務者会社の再建を計るためには、得意先の回復、経営陣の充実及び従業員数の適正化を検討しなければならない。

まず、得意先については、今日の得意先は、大部分が債権者らのうちの営業担当者が開拓したものであつて、多数の得意先から業務を再開すれば取引を復活する旨の確約を取付け(仕事量にして八五パーセントが回復の見込みである)、また、経営陣については、これまで実質的にトツプにあつた小田嘉三郎を代表取締役に選任し、他は社内または外部から登用することにより、その充実は容易であり、さらに、従業員数についても、労働集約型の産業として売上高中人件費の占める割合が五〇パーセントと非常に高い事業であるが、現在の従業員数は二九名であり、一人当り月間売上高は金五八万余円であるから(因みに、一人当り採算ラインは金四八万余円)、仮に仕事量の回復が前記見込みのとおりであつても、人件費用上の採算は充分成り立つところである。

もつとも、債務者は、第五六・第五七期においては人件費が売上高を超過している、旨を主張しているが、それは、右両期とも退職金が多く人件費の半額以上を占めていたなどの事情によるものであり、正常の場合、人件費が売上高を超過するなどということは到底ありえないところである。

すると、債務者会社は充分再建が可能であるというべきである。

(4) 債務者会社の再建への努力不足

債務者会社の経営者は、これまで業績不振を打開するため、真摯な努力を全くしなかつた。

まず、営業面についてみると、右会社の実権を握つていた小田嘉三郎は、前記のとおり梱包業を発展させる意思がなく、さりとて、新規事業として複写(コピー)、水理(ビル等の配水管の清掃)の営業を昭和五二年一〇月から逐次開始したものの、昭和五三年九月までの売上高は約四六五万円(総売上高の約一・八%)、同年一〇月から昭和五四年七月までの売上高は約六七八万円(同約三・三%)に過ぎず、また、自動車修理については、計画にとどまり、営業を開始するに至らなかつた。

これに対し、組合は、右新規事業の提案に全面的に協力したばかりでなく、従業員も、業績不振の打開を図るため積極的に機械梱包にも取組み相当の成果を挙げることができた。もつとも、債務者会社は、機械梱包に必要な設備投資を資金がないとして行わず、従業員に必要な技術の習得のための便宜すら与えず、その取組みに消極的であつた。

また、人員整理等については、債務者会社の提案により、昭和五〇年三月に高年齢者の希望退職を実施し、また、昭和五一年三月二一日から同年九月二〇日まで毎月第一ないし第四土曜日の午後を臨時休業とし、その日の賃金の四〇パーセントカツトを実施したにとどまり、その後、昭和五三年末まで債務者会社からの提案は全くなかつた。

もつとも、債務者は、昭和五三年の一月と九月の二回に亘り、債務者会社から組合に対して合理化計画を立案提示し団体交渉を申入れた旨を主張するが、しかしながら、当時、組合は、合理化計画について会社側から正式に提案及び団体交渉の申入れを受けたことはなかつた(因みに、右合理化計画の内容は企業閉鎖後たまたまメモのコピーを見つけて初めて知つた)。

そして、嘉三郎は、昭和五三年末に至り、組合の闘争により年末一時金の支払いを余儀なくされたことに憤概して経営を断念し、昭和五四年二月ころまでに企業閉鎖、全従業員の解雇を決意し、また代表取締役小田勉、取締役島村正太郎も間もなく会社経営を維持、継続する意思を喪失した。

(5) 昭和五四年三月以降の団体交渉

今回の一連の団体交渉は昭和五四年三月からであるが、組合が企業閉鎖・全員解雇を前提とする交渉を債務者会社ともつたのは同年六月一四日以降三回ぐらいであり、それも全く不充分であつたが、それまでの団体交渉は再建を前提とするものであり、企業閉鎖とか全員解雇とかのことは話題に全然のぼらなかつたものである。

すなわち、債務者会社は、同年三月二二日、組合に対し業績の悪化と資金繰りの困難を理由に栄町工場を閉鎖しその売却代金をもつて希望退職者を募集する旨の合理化計画案を提示し、さらに、同年四月三日、組合に対し同月九日に栄町工場を閉鎖する替りに湊町工場を操業する等の修正案を提示し、これに対し、組合は、希望退職の条件につき合意が成立しないかぎり栄町工場の閉鎖に反対するが、他は右合理化計画案に賛成する旨を回答した。

債務者会社は、同月一九日、組合に対し栄町工場を同月二四日に閉鎖し早急に売却しないと退職金等の都合がつかないのでこれに同意してほしい旨を申入れ、これに対し、組合は、希望退職の条件が整わないかぎり反対である、旨を回答したところ、同月二一日、会社は組合に対し、栄町工場の売却代金を資金に再建計画を練り、希望退職の募集は取り止め、経営状況から必要になつたときに改めて希望退職の相談をする、旨を再提案して希望退職の募集を撤回し、組合もこれを了承したので、同月二六日、栄町工場の閉鎖及び湊町工場への移転、操業が決定された。もつとも、債務者会社は、右工場の閉鎖と移転の完了後の同年五月一五日及び同年六月二日の二回に亘り、従業員(組合員)に対し希望退職を勧奨する文書を送付し、その際、企業閉鎖をほのめかすという行動に出た。

組合は、同年五月一六日(議題は春闘賃上げ要求など)、同月一八日(議題は給料分割払と退職勧奨に対する抗議)、同月二五日(議題は給料分割払と会社側再建案の提示)にも団体交渉を行い、さらに同月二日、同月一二日開催の臨時株主総会の議案をめぐつて団体交渉を行つたが、席上、債務者会社は、右議案はあくまで栄町工場の業務停止に留まり、ただ、一部株主の意向によつては全面的な業務停止が問題になるかもわからない、旨を表明し、現下全面業務停止の意向がないことを明らかにした。しかし、右臨時株主総会においては全面業務停止が決議されたのであつた。

同月一四日の団体交渉において、債務者会社は、右決議をふまえ、初めて全面業務停止の方針を打出し、これに対し、組合は、事前協議もなく労働協約に違反することを理由に、右方針に反対の態度を表明した。

同月一八日の団体交渉においては、組合は、従前の再建を前提とした話合いが突然業務停止に変つた不可解さを抗議し、業務停止の白紙撤回を要求したが、これに対し、債務者会社は、組合から再建案が提案されれば検討の用意がある、旨を回答し、そこで、同月二五日の団体交渉において、組合は前記(3)b掲記のところを骨子とする再建案を提示したところ、債務者会社は、専門家にも診断してもらい、右再建案を慎重に検討する、旨を回答し、席上、右再建案を基礎に協議を重ね会社再建を目指す旨の合意が成立した。

ところが、同年七月九日の団体交渉においては、債務者会社は、中小企業診断士の診断結果を楯に組合の再建案を拒否し、今後の団体交渉は行わず、企業閉鎖を実施する、旨を表明し、組合からの協議続行等の申入れを一方的に拒絶し団体交渉に応じない態度を採るに至つた。その後再三に亘る組合の団体交渉に対しても、債務者会社はこれを拒否し続け、本件解雇を敢行したものである。

以上のとおりであるから、債務者会社は、同年三月、既に企業閉鎖を企図しながらこれをかくして組合と団体交渉を重ね、組合に再建案の提示を求めたのは全く形を作るためのもので、企業閉鎖、全員解雇につき未だ誠意ある団体交渉がもたれたとはいい難いところである。

(6) そうすると、債務者会社は当時債務超過にはなく、企業閉鎖して本件解雇を実施すべき緊急性はなく、その経営努力を十分実行しないまま、会社資産の残存する間にその分配を企図した先行不安による予防的な会社閉鎖の色彩が濃厚であるから、通常のいわゆる倒産の場合と違い、その場合以上に、十分な時間をかけ事前に従業員らに対して企業閉鎖と全員解雇の理由及び必要性を開陳し、併せて、これを根拠づける客観的資料を提示のうえ納得のいく詳細な説明を行つてその了解を得るよう努力すべきであるのにかかわらず、債務者会社は、これを実行せず、最初から組合と組合員(従業員)を欺き、遂には団体交渉を一方的に拒否して本件解雇を敢行したものであるから、本件解雇は、解雇協議協約に違反し、無効である。

3 不当労働行為

債務者会社は、前記のとおり、昭和五三年末までは、再建計画を検討し、企業閉鎖、全員解雇ということは毛頭考えていなかつたが、組合が同年年末一時金闘争を活溌に展開し、その結果、年末一時金の支払いを余儀なくされたことから、にわかに、組合の存在を嫌忌し、これを破壊するため労使関係の一掃を企図し、そこで、再建計画の実施を断念し、組合の強い反対にもかかわらず、いきなり、企業閉鎖による全員解雇を強行したものであるから、本件解雇の意思表示は、労働組合法七条一項一号、三号に該当し、不当労働行為として無効である。

4 解雇権の濫用

前記のところから明らかなように、債務者会社は、債務超過にはなく、残存資産の活用・人員整理等による企業再建の条件を十分備え、企業を閉鎖すべき事由は全くなかつたにもかかわらず、再建のための真摯な努力を怠り、経営者自身の私腹をこやすのに急で、組合との企業再建の約束を無視し、かつ、債権者らの職場や生活、将来の保障についても一顧だにせず、企業閉鎖、全員解雇を強行したものであるから、本件解雇の意思表示は、解雇権の濫用として無効である。

四  本件解雇は前記のとおり無効であるのに、債務者会社は、債権者らに対し昭和五四年八月三一日以降(但し、選定者浜康弘に対しては同年九月一日以降、同梶智城、同中島年紀、同吉川良徳に対しては同年七月二七日以降)従業員としての地位を争つて就労を拒否し、賃金も支払わないところ、債権者らの右解雇前三か月の平均賃金は別紙賃金債権目録の賃金月額欄記載のとおりであり、また、毎月の賃金の支払日は当月の二五日であつた。

五  債権者らは、いずれも右賃金を自ら及びその家族の唯一の生計の手段としてきた平均年齢四〇歳の労働者であり、本件解雇により右賃金収入を失い、生活は極端に困窮しており、このままでは回復し難い損害を受けるおそれがある。

六  よつて、債権者らは、債務者に対し、債権者らが雇用契約上の地位を有することを仮に定めるとともに、それぞれ前記解雇の日の翌日以降本案判決確定に至るまで毎月二五日限り別紙賃金債権目録の賃金月額欄記載の金員の仮払いを求める。

(申請の理由に対する答弁)

一  申請の理由第一項記載の事実は認める。但し、債務者会社は昭和五四年一一月二七日、株主総会の決議により解散し、現在清算手続中である。

二  同第二項記載の事実は認める。

三  同第三項1記載の事実のうち、債権者主張の定時株主総会において本件解散決議があつたことは認め、その余の事実は否認する。

四  同項2(一)記載の事実のうち、債権者主張の労働協約にその主張の条項が存在することは認め、その余の事実は否認する。

五  同項2(二)(1)主張は争う。

六  同項2(二)(2)記載の事実のうち、昭和四七年六月末まで小田彰が債務者会社の代表取締役であつたこと、昭和三七年に小田彰の義弟である小田嘉三郎が会社の相談役に就任したこと、嘉三郎は梱包業を好まなかつたこと、小田彰の後任に大西儀作が選任され、昭和四八年一一月末辞任し、その後、取締役岡田匡彦も辞任したこと(いずれも、辞任させたものではない)、右両名の辞任により会社が多大の損失を蒙つたこと、それ以後、島村正太郎、小寺沢清、細野浩、小田勉が順次代表取締役に就任したこと、債務者会社の経営担当者・幹部従業員が次々と会社を去り、独立したこと、債務者会社の役員に対する退職慰労金が債権者主張の基準によつて算定されたこと、小田彰、小田嘉三郎及び小田勉、島村正太郎両名退職に伴う退職慰労金等の額がいずれも債権者主張のとおりであり、かつ、債権者主張の工場売却代金から支払われたことは認めるが、その余の事実は否認する。

七  同項2(二)(3)記載の事実のうち、債務者会社は輸出用繊維製品の梱包を主体に営業していたが、輸出の減少等により売上げが低下し、第五一期から営業損失を出すようになつたこと、債務者会社は、第五六期において、本社三宮工場を売却し、買換資産特別引当金繰入れとして金三億三、七〇〇万円を計上し、また、第五八期において、栄町工場を売却し、その売却益及び右買換資産特別引当金の戻入れにより、債権者主張の額の当期利益を計上したことは認めるが、その余の事実は否認する。

八  同項2(二)(4)記載の事実のうち、債務者会社が債権者主張のような新規事業に進出し、または、進出しようと企てたことは認めるが、その余の事実は否認する。

九  同項2(二)(5)記載の事実のうち、債務者会社が、昭和五四年三月二二日、組合に対し栄町工場の売却、希望退職の募集を提案し(ただし、企業整備の一環としてであつて、合理化による会社再建を目的としたものではない)、その後同年七月九日まで債権者主張の日にその主張の事項を議題として組合と団体交渉を重ねたこと、同年四月に組合が栄町工場の閉鎖と湊町工場への移転に同意したこと、債務者会社が債権者主張のとおり二回に亘り従業員に対し退職勧奨を行つたこと、会社が同年六月一二日に業務停止を附議事項とする臨時株主総会を開催したこと、同月一八日の団体交渉において、債務者会社が組合に対し再建案の提出があれば検討する旨を申入れ、その後、組合から再建案が提出されたが、債務者会社は、同年七月九日の団体交渉の席上、右再建案につき専門家の診断結果を理由にこれを拒否し、以後、団体交渉が行われなかつたことは認めるが、その余の事実は否認する。

一〇  同項2(二)(6)の主張は争う。

一一  同項3及び4記載事実は否認する。

一二  同第四項のうち、本件解雇が無効であるとの主張は争う。

一三  同第五項記載の事実は争う。

(申請の理由に対する反論)

一  労働協約違反の主張について

1 本件労働協約の性質

債権者主張の労働協約三条の規定はその文言からも明らかなようにいわゆる事前協議約款であつて、同意約款ではない。また、債務者会社は組合と従業員の解雇につき同意協約を締結したことはない。

もつとも、債権者は、従前、希望退職募集、賃金カツト、配置転換等について、債務者会社は事前に組合と協議のうえその同意を得て実施してきた、旨を主張するが、これは、会社が右協約に則りこれらの事項を組合と事前協議し、途中多少の紆余曲折はあつても、譲歩により、最終的には双方の合意に達したという実情をとらえたものに過ぎず、これをもつて本件協約を同意約款であるとする根拠にはならないし、会社がこれまで右協約の規定を同意約款として運用してきた事実は全くない。

2 債務者会社の経営状況(債務超過)

会社は、梱包業界において古い社歴を有する老舗であり、かつての最盛時には従業員数百名を擁したが、業績不振が続いて徐々に減少し、殊に第五一期(自昭和四六年一二月一日、至昭和四七年一一月三〇日)に営業損失を出して以後、不振の度を加え、その後の決算期においても毎期五、〇〇〇万円以上の営業損失が発生し、特に第五六期(自昭和五一年一二月一日、至昭和五二年九月三〇日)以降急激に増大して売上額が人件費にも満たない状態となつた。なお、第五一期から第五七期(自昭和五二年一〇月一日、至昭和五三年九月三〇日)までの決算の概要は別紙決算一覧表記載のとおりである。

そのため、会社は、別紙資産売却一覧表記載のとおり、昭和四七年に大阪福島工場、昭和四九年に鈴蘭台の社宅、昭和五一年に丸山町の社宅、昭和五二年に本社三宮工場と次々に所有不動産を売却して右損失を補填してきたが、それでもなお、第五二期以降毎期膨大な繰越損失を計上した。

本件解雇の前後にまたがる第五八期(自昭和五三年一〇月一日、至昭和五四年九月三〇日)では、同期の損失額は急増し、すなわち、売上高一億九、八六三万四、六〇三円に対し売上原価四億二、六〇九万一、九〇七円で売上損失が金二億二、七四五万七、三〇四円、営業損失も金三億六、六七三万五、五二一円に達し、その補填のため、前記本社三宮工場売却の際、買換資産特別引当金として留保した金三億三、三七〇万円の戻入れ及び新たに栄町工場を代金二億三、〇〇〇万円で売却して得た売却益など合計五億六、四三八万七、九八四円を特別利益に計上して漸く経常利益を金一億九、八〇八万二、九一八円としたが、前期からの繰越損失があるため当期繰越損失が金四、五八七万一、二五六円となつている。

このように会社は資産の売り食いで七年間経営を維持し、必死に業績好転の努力をしたが、損失が増加するばかりで債務超過を解消するには至らなかつた。

もつとも、債務者会社には、なお残存資産として、魚崎工場と国鉄から賃借中の湊町工場(高架下のため、使用目的が制限されており、かつ、賃借権の譲渡、転貸が禁止されているので、財産的価値は余り見込めない。)が存するところ、債権者は、右魚崎工場等を正当に評価すれば債務超過にならない、旨を主張するが、そもそも、債務超過かどうかは会計原則に従つて資産、負債の対比により決定されるべきものであつて、未処分の資産の含み利益を考慮すべきではないし、仮に右の点を捨去しても、従業員に対する未払退職金その他会社には支払うべき多額の債務が残されており、魚崎工場等を処分したとしても、これに伴う税金及びその他の未納税金等を支払えば、そう多額の残余資金が出るわけがなく、右未払退職金の支払確保も覚束ないが、仮に、最終的には若干の余剰を残して清算結了できたとしても、その一事をもつて、なお企業を継続すべきであつたということにはならず、従前の経営の経過に徴すれば、債務者会社は既に企業として存続すべき基礎を喪失していたものというべきである。

3 経営不振の原因

債務者会社が経営不振となつた最大の原因は、繊維業界の慢性的不況及び繊維製品輸出の不振にあるが、更に、従業員の給料ベースが他の同業者のそれと比較して高かつたことも重要な原因の一つを成している。また、昭和四七年、組合がいわゆる電話スト・入出庫ストを実施し得意先の信用を失つたことも、その後の経営悪化の要因をなしている。

なおまた、大西儀作代表取締役及び岡田匡彦取締役は、債務者会社を辞任して独立し、その際、会社の得意先を多数引き抜き、更にまた、その余の経営担当者及び管理職も次々と一般従業員を引き抜いて独立し、そのため、債務者会社は多大の損害を被り経営不振の一因となつたものであるが、右独立を促した一つの要因は、組合が強く業務遂行に非協力的であつたため、右管理職等が部下従業員を使用するのに嫌気がさし、一方、梱包業は比較的簡単に独立することができる点にあつたものである。

ところで、債権者は、小田嘉三郎が会社の実権を掌握したため、代表取締役の経営意欲が阻害され、これが経営不振の一因となつた、旨を主張するが、そのような事実は存在しない。同人は、株主及び創業者の一族として種々経営者の相談に乗り意見を述べてきたが、会社の経営方針の策定及びその実行は、すべて、担当の経営者自身が行い、同人が右経営を支配し、役員人事に介入したことはなかつた。

また、債権者は、債務者会社の役員に対する不当な退職慰労金等の支払がその経営不振を招いた一因である、と主張しているが、しかしながら、債務者会社は、昭和四七年六月以後、退任役員に対して別紙役員退職金一覧表記載のとおり退職慰労金を支払つたが、その額は、いずれも勤続年数を基本に従業員の退職金規定の二倍の金額とし、勤続二〇年以上の者に対してはさらに七分の八を乗じるという取締役会の決定に従つて算定し、かつ、株主総会の承認を得たものであるから、会社が勝手にお手盛りをしたという非難は当らないし、また、退任役員に対し即時支払うべき資金がなかつたときは、後日資産売却の際、その支払いをしたものであり(因みに、小田彰に対しては大阪福島工場、小田勉、島村正太郎に対しては栄町工場、その他の九名に対しては本社三宮工場の各売却代金から支払つた)、更に、右の一二名に対し合計金一億四四四三万余円の退職慰労金を支払つたが、この額は別紙資産売却一覧表記載の資産売却による手取金一四億〇、五一八万八、九九三円の約一割に過ぎないから、不当なものではなく、いずれにしろ、経営担当者が債務者会社の資産食い潰しを計つたものではないから、債権者の右主張は失当である。

4 債務者会社の採つた対策

債務者会社は、業績悪化を座視していたわけではなく、新たに機械類の梱包に進出し、水理業務(ビル等の排水管の清掃)、複写業務、自動車整備、自社製品の運送、使用機材の自家生産等、可能な限りの新規事業に労使一体で取り組み、経営の多角化を目指したが、予期したほどの成果があがらず、ずるずると悪化の一途をたどり、業績を回復することはできなかつた。

もつとも、債権者は、会社が機械梱包の取組みに消極的であつた、と非難するが、しかし、債務者会社は、機械本体の梱包業務に本格的に進出するには膨大な設備資金を要するため、会社の規模に見合つた設備で可能な機械部品の梱包に的をしぼり、それに必要な重量物用フオークリフトやシユリンク梱包機等の設備をしたものである。これがうまくいかなかつたのは、債務者会社が後発業者のため工賃が高くつき、同業者との競争に勝てず、また、機械梱包は高度の技術を要し、永年繊維梱包しか経験のない従業員には到底無理で、得意先の確保ができなかつたことによるものである。

更に、債務者会社は、昭和五三年中二回に亘り合理化案を組合に提示した。

第一回は、同年初めころであり、債務者会社は、三〇名の人員整理及び報酬・賃金カツト(役員・相談役三〇パーセント、従業員一五パーセント)を骨子とする合理化案を提示して団体交渉したが、組合は、三〇名もの人員整理に難色を示し、また、既に土曜休業によるカツトを実施しているのでこれ以上の賃金カツトには応じられないとして、右合理化案を拒否した。その結果、当時の代表取締役細野浩は、同年五月、経営に自信が持てないとの理由で退任した。

第二回は、同年九月ころであり、債務者会社は、一層困難となつた経営状態を背景に、三〇名の人員整理と三年間の賃上げ及び一時金支給の停止という前回より厳しい内容の合理化案を提示して団体交渉したが、組合は、前回同様に容易に承認する様子がなく、交渉を重ねることなく立消えとなつた。

以上のとおり、債務者会社の合理化案は一蹴され、再建の機会を喪失したのである。

このように、債務者会社は、経営危機打開のため種々の対策を講じたが、組合の強い態度に押されてこれを実現するに至らなかつたものであり、経営者の無策、無能が会社閉鎖の原因であるとする債権者の主張は当らない。

5 会社再建の可能性

前記のところからすると、本件解雇の当時、債務者会社はその経営の基礎を失い、新規事業へ発展の可能性もなく、その他、経営不振の要因及び打開策の策定実行などからすると、既に債務者会社再建の可能は全くなかつたというべきである。

もつとも、債権者は、得意先の回復、経営陣の充実及び従業員数の適正化を検討すると会社の再建は可能である、旨を主張しているが、しかしながら、一旦、債務者会社を信用できないとして離散した得意先が営業を再開した途端に八五パーセントも回復してくるとは到底考えられず、また、債権者が経営のトツプに置こうという小田嘉三郎には再建の意思が全然なく、さらに従業員数が業務停止後の会社整理により適正規模に減少したからといつて、再建ができるわけはない。まず、再建に必要な資金をどうするのか、資産も底をついた会社の現状においてこれをどうして捻出するのか、を策定することが重要であるのに、その具体策は何ら示されていない。過去業績悪化の一途をたどり、人材、業務及び資産のいずれの観点からしても企業として存続し得る基礎を失つた債務者会社が、その体質を一変させて利益を上げ得るものとは到底考えられず、債権者の前記主張は、失当というほかない。

6 昭和五四年三月以降の団体交渉等の経過

債務者会社は、前記のとおり、昭和五四年三月当時既に企業閉鎖・会社解散のやむなき状況に立ち至つたが、そのまま放置することはできず、そこで、同月二〇日、組合に対し経営の行き詰りによる業務停止(企業閉鎖)を議題に団体交渉の申し入れをなし、以来、同月二二日を第一回として、同年四月三日、同月一九日、同月二一日、同年五月一六日、同月一八日、同月二四日、同年六月二日、同月一四日、同月一八日、同月二五日及び同年七月九日の前後一二回に亘り団体交渉を重ね、その中で、債務者会社は、過去七年間資産を売り喰いして遣りくりしてきたが既に売るべき資産もなく、このままでは営業の継続が困難で、早晩、業務閉鎖・全員解雇のやむなきに至る実情を訴え、業務停止について協力方を求めたが、これに対し、組合は、会社の経営危機を理解できず、依然一時金の支給や賃上げ要求を行つた。もつとも、その間の同年四月ころ、従業員の給料も満足に支払えなくなり、その資金調達のため栄町工場を売却したが、その際は、組合も同意し、急場をしのぐことができた。

ところで、債権者は、業務停止(企業閉鎖)を前提とする団体交渉は六月一四日以降の三回だけであり、また、全員解雇についてはこれらの団体交渉でも全く協議されていない、旨を主張する。

しかしながら、三月二二日の団体交渉以来、一貫して企業閉鎖を前提に希望退職の募集、そのための退職金捻出を目的とする栄町工場の売却について協議してきたもので、一度として企業再建を話合いその約束をしたことはなかつた。もつとも、これら一連の団体交渉において、債務者会社は、企業閉鎖(業務停止)を前提としながらも、組合に対し、実現可能な再建案があれば提示してくれるよう申し入れたことがあり、これに応えて組合から再建案が提示されたことがあつたが、その内容は現実性に乏しく、専門家に依頼して検討分析させた結果も全く芳しくなく、到底採用するに足りないものであつた。

また、前記一連の団体交渉においては、企業閉鎖や解雇、退職金等の具体的条件については、必ずしも詳細に協議がなされていないことは事実であるが、これは、会社が経営行詰りの実情を訴え、組合に協力を要請しているのに対し、組合があくまで企業再建に固執し、かつ、会社の経営危機をよそに、なお賃上げ及び一時金を要求していたため、具体的な条件についての詳細な協議が不可能であつたことによるものである。

従つて、債権者の前記主張はすべて失当である。

このように会社の経営は行詰り、他方、組合との団体交渉は難航し、このまま放置したのでは従業員の退職金すら支払えない最悪の事態に陥るおそれがあつたので、債務者会社は、最後の手段として、昭和五四年五月ころから直接従業員に対し会社の経営危機を訴え、早期に任意退職方の勧奨を開始し、組合の厳しい抗議にかかわらず、説得を続けた結果、従業員六八名のうち三八名が退職し、債権者ら三〇名のみは最後までこれに応じなかつた。

そして、同年六月一二日開催の臨時株主総会において、早急に業務を停止して会社整理を行う旨の決議がなされたが、その後においてもなお、債務者会社は、できる限り解雇を避け辛抱強く任意退職を説得したが、了解を得られなかつたため、本件解雇に及んだ。

7 結論

以上のとおり、債務者会社は、七年間にわたり十数億円もの所有不動産を順次売却して損失を補填しながら、必死に企業再建を計つたが、業績は悪化の一途をたどり、最近は売上額が人件費に満たない状態が続き、既に企業として存続し得る基礎を完全に失つたため、やむなく業務停止のうえ本件解雇及び会社解散を決断したものであるが(再建の見込が得られないまま、いたずらに事業を継続しても早晩倒産に至ることは必定であり、そうなれば残された資産も全部食い潰してしまい、退職金も支払えず、従業員はもちろん債権者にも多大の損失を与えることにならざるを得ないのであつて、このような事態に立ち至つてもなお企業経営を継続しなければならない義務はない)、その過程において組合に対し十分その実情を説明し、団体交渉を重ねたものであり、すると、本件解雇が労働協約の事前協議約款に違反する旨の債権者の主張は当らない。

二  不当労働行為の主張について

債務者会社は、真実経営に行き詰つた結果、企業閉鎖による本件解雇に踏み切らざるを得なかつたものであつて、組合の存在や一時の闘争を嫌忌し、組合潰しを意図したものではない。そもそも、組合が結成されたのは昭和三四年のことであり、既に二〇年も経過し、今更組合潰しを画策してもはじまらず、債権者の不当労働行為の主張は全く皮相な見解に過ぎない。

三  解雇権濫用の主張について

債務者会社は、前記一掲記のとおり、最近数年間、極端な業績不振により膨大な営業損失を出したにもかかわらず、企業を維持するため最大の努力を払つてきたが、効果はなく、もはや企業として存続し得る基礎を失つたので、組合や従業員に対し了解を得るべく実情を説明して十分交渉を重ね、尽すべき手段はすべて尽したうえ、やむなく企業閉鎖による本件解雇に至つたものであるから、右解雇は相当であり、債権者の解雇権濫用の主張は理由がない。

第三疎明〈省略〉

理由

一  申請の理由第一、第二項記載の事実は当事者間に争いがない。そこで、本件解雇の効力について順次検討する。

二  本件解散決議と解雇の効力

1  債務者会社が昭和五四年一一月二七日に本件解散決議をなしたことは当事者間に争いがない。

2  債権者は、本件解散決議がもつぱら経営者や株主の利益追求と組合の破壊を目的としてなされたものであること、及び「会社の解散は絶対に行わない。」旨の昭和五一年一一月二〇日付協約に違反しているから、権利の濫用として無効である、旨を主張する。

しかしながら、一般に会社が当該企業を廃止するか否か、従つて、会社解散の決議をするかどうかは、企業主体たる株主の自由な選択に委ねられているところであるから、株主が真実会社を解散させる意思のもとに会社解散の決議をした以上、これによつて会社解散の効力を生じ、たとえ、それが労働組合の破壊及び株主等の利益追求を図るためなされたとしても、これをもつて直ちに右解散決議が無効になると解することはできない。また、成立に争いのない疎甲第五九号証の一によれば、債権者の主張にそう合意(協約)が存在することが一応認められるが、商法は、会社を解散するか否かの決定は株主総会の専権に属することとしており(同法四〇四条参照)、仮に代表権を有する者あるいはその代理人が組合との間で右のような内容の合意をしたとしても、これにより株主総会がその拘束を受ける実定法上の根拠はなく、右合意の存在により本件解散決議が無効とされる理由はない。

従つて、債権者の前記主張はいずれも採用しない。

3  次に、債権者は、本件解散決議は組合の同意を得ることを停止条件として成立したものである、旨を主張している。

しかし、証人島村正太郎の証言(第一、二回)により成立の認められる疎乙第五七号証と同証人の証言(第一、二回)及び債務者会社代表者本人尋問の結果を総合すると、昭和五四年一一月二七日開催の債務者会社株主総会において全員一致をもつて無条件で本件解散決議がなされたことが一応認められ、後記措信しない証拠を除き、他に右認定に反する証拠はない。

もつとも、証人伊吉利哉の証言により成立の認められる疎甲第六四号証及び同証人の証言のなかには、本件解散決議が条件付きであつたと思わせる部分がないではないが、反面、右の条件なるものがいかなる内容のものであつたのか、殊に債権者の主張にそうものであつたのかは、右証拠とくに疎甲第六四号証を精査してみてもにわかに確定しがたいのみならず、かえつて、右証拠からすると、右総会に出席した株主舟元義雄(同人が当日自己保有株式と他の株主から権限委任された株式を合わせて発行済株式総数の三分の一を超える株式((議決権))を有したことは、成立につき争いのない疎甲第五七号証及び弁論の全趣旨により明らかである。)は、当時の状勢から本件解散決議を行うこと自体には賛成するが、解散後は、従業員などの立場を尊重して善処することを債務者会社に要請したものとも受けとられ、かつまた、右舟元らがその後に本件解散決議の効力を問題とした事蹟も存しないところをも合わせ考えると、右証拠をもつて条件付解散決議の証左とは到底なしがたく、前顕認定を左右する証拠とはいいがたいところである。

従つて、債権者の右主張も理由がない。

4  のみならず、元来従業員の解雇と会社の解散とは別個の問題であり(因みに、本件では本件解散決議より先に本件解雇がなされている)、会社の解散が仮に無効または効力が発生していないとしても、特段の事情がない限り、従業員の解雇の効力に直ちに影響を及ぼすものではないから、そもそも債権者の主張はそれ自体失当といわざるを得ない。

5  そうすると、無効または効力未発生の本件解散決議を前提としてなされた本件解雇が無効であるという債権者の主張は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

三  労働協約の効力と本件解雇

1  労働協約の解釈

債務者会社と組合との間に昭和四三年五月一日締結された労働協約(第三条)に「会社は、組合員の賃金や労働条件、諸規定の改廃、変更、解雇、配転等については、事前に組合と協議の上、決定する。」旨が規定されていることは当事者間に争いがない。

債権者は、右条項の趣旨は同意約款であり、ただ、右協約締結の際、債務者会社側から、対外的信用上「同意」という文言が入ると困るとの強い要請があつたため、殊更右条項から「同意」の文言が除かれたにすぎず、現に、その後の配置転換、土曜休業等の労働条件の変更、工場の閉鎖等の決定にあたつては、すべて、債務者会社はその都度事前に組合と協議し、その同意を得たうえ、これを実施しており、右条項は同意約款として運用されてきた、と主張する。

証人伊吉利哉の証言中には、「私は組合の委員長として右協約の締結に関与したが、その際、協約三条の趣旨は同意約款であるが大得意先の関係もあり対外信用上文言としては協議約款にして欲しい、との会社の要請により、規定上は『協議の上』としたに留まる。」旨の供述があるが、しかしながら、他方、昭和三四年にも債務者会社と組合との間で従業員の労働条件の変更等の取扱いにつき労働協約を締結したことがあり、その際もいわゆる事前協議約款と定めたことは、右証人の証言により明らかであり、また、労働組合法一四条は労働協約につき書面主義を採用しており、以上の諸点及び証人島村正太郎の証言(第二回)に対比すると、証人伊吉利哉の右供述はにわかに措信することができず、他に右協約が同意約款の趣旨で締結されたという直接の証拠は存在しないところである。

また、債務者会社においては、本件の労働協約締結後、会社が従業員の配置転換、工場閉鎖、土曜休業、退職奨励制度等、広く労働条件に関する事項について組合と事前に協議し、その了解(意見一致)のうえ、協約や覚書を締結してから実施してきたことは成立に争いのない疎甲第五八号証、第五九号証の一ないし四、第六五号証、第六七、第六八号証、第六九号証の一ないし七六、疎乙第二三号証、第四五号証、証人伊吉利哉、同島村正太郎(第二回)の各証言及び債権者本人・債務者会社代表者本人各尋問の結果により一応認めることができるが、一方、右各証拠とくに証人島村正太郎の証言及び債務者会社代表者本人尋問の結果を総合すると、右のような従前の実情は、会社が組合と円満な関係を維持して業務の円滑な遂行を図ることに眼目を置き、譲歩できるところはできる限り譲歩して組合と合意に達するよう鋭意尽力し、過剰人員の整理解雇等組合との正面衝突を免れない事項については敢えて強行することを避けてきた結果にほかならないことを窺うに足りるから、この点をとらえて直ちに右協約の規定を同意約款と解する根拠とはなしがたい。因みに、昭和五一年一一月一六日夕刻から翌一七日深更にかけての団体交渉において、組合が債務者会社に対し工場閉鎖・会社解散等は組合の同意を要する旨の協約を締結するよう強く迫つた際、会社側がこれを肯んじなかつたことは、疎甲第四七号証の二の存在及び証人伊吉利哉、同島村正太郎(第二回)の証言により疎明され、この事実からも、本件協約の規定が同意約款であるとは到底いい難いところである。

従つて、債権者の前記主張は採用することができないし、他に前記労働協約の規定が同意約款であるとする主張立証はないから、右規定はその文言のとおり事前協議約款を定めたものと解するのが相当である。

2  事前協議約款違反の有無

(一)  債権者は、本件解雇に関し充分な事前協議がなされなかつたから、右解雇は事前協議約款に違反する無効のものである、と主張している。

ところで、従業員の解雇について事前協議約款に基づく事前協議が充分行われたか否かを判断するには、右協議自体のほか、当該会社の経営状況、経営悪化の原因及び再建への努力など諸般の事情を勘案する必要があると解されるから、本件解雇についても、右の諸点をふまえ、事前に充分な協議が行われたか否か、以下順次検討する。

(二)  会社の経営状況(債務超過の有無など)

債務者会社の会計年度が毎年一二月一日に始まり翌年一一月三〇日に終わるものであつたところ、昭和五三年からは同年一〇月一日に始まり翌年九月三〇日に終わることになつたこと、及び右会社の第五一期会計年度が昭和四六年一二月一日から始まり、以下順次期を重ね、昭和五二年一〇月一日から始まる会計年度が第五七期、昭和五三年一〇月一日から始まる会計年度が第五八期であることは当事者間に争いがない(従つて、以下においても、特に必要のないかぎり、会計年度を表わすには単に「第五一期」等と表示することとする)。

当事者間に争いのない事実に、前掲疎甲第五九号証の一ないし四、第六五号証、第六七号証、第六八号証、第六九号証の一ないし七六、疎乙第二三号証、第四五号証、成立に争いのない疎甲第三二号証の一、二、第三八号証の一ないし七、第四〇号証の一ないし五、第四一号証の二、第四七号証の一、第五六号証、第五八号証、第六一、第六六号証の各一、二、疎乙第一ないし第七号証、第四一、第四二号証、債務者会社代表者本人尋問の結果により成立の認められる疎甲第三八号証の八、証人伊吉利哉の証言により成立の認められる同第四二号証の一ないし一一、弁論の全趣旨により成立の認められる疎甲第三三号証、第四一号証の一、三ないし五、第六〇号証の一、二、第七〇号証の一ないし三及び証人島村正太郎(第一、二回)、同伊吉利哉ならびに債権者、債務者会社代表者各本人尋問の結果を総合すると、次の事実が一応認められる。

(1) 業績不振の実態

債務者会社は、昭和一一年一〇月、神戸市の梱包業界で激烈な競争を繰り広げていた神戸貿易梱包(明治四〇年ころ、嘉三郎の実父が創業した)、共同梱包、宮本梱包の三社が嘉三郎らの奔走により合併して設立されたもので、輸出繊維の梱包業務を主体に発展を遂げ、最盛期の昭和三七、八年ころには従業員約四〇〇名を擁していたが、そのころから業績にかげりが見え始め、以後下降線をたどり、殊に昭和四七年ころ以降は急激に悪化の度を加え、従業員も昭和四五年ころ約二〇〇名、昭和四九年ころ約一六〇名、昭和五〇年ころ約一一〇名と激減した。昭和五四年三月当時、従業員は七〇名前後となり、また、工場もかつての五工場のうち福島工場及び本社三宮工場を失い、魚崎、栄町、湊町(国鉄高架下)の各工場に減つていた。なお、当時の資本金は二、一〇〇万円であつた。

債務者会社の第五一期から第五七期までの決算の概要は別紙決算一覧表記載のとおりであり、すなわち、第五一期に営業損益が損失に転落して以後、売上高の減少傾向が著しく、毎期五、〇〇〇万円以上の営業損失を計上し、殊に第五六期の営業損失は金二億五、三〇〇万円余り、第五七期のそれは金一億九、四〇〇万円余りに急増し、特に第五六、第五七期は売上高が人件費にも満たない状態であつた。

右経営悪化に対処するため、債務者会社は、別紙資産売却一覧表記載のとおり、昭和四七年に福島工場、昭和四九年及び昭和五一年に社宅、昭和五二年に本社三宮工場と次々に所有不動産を売却し、その売却益をもつて損失の補填を計つたが、それでもなお第五二期以降通期において繰越損は解消しなかつた。ただ、第五六期については、本社三宮工場の売却益の一部の金三億三、三七〇万円は、将来の資産買換を考慮して買換資産特別引当金として留保された。

本件解雇の前後にわたる第五八期も、売上高一億九、八六三万四、六〇三円に対し売上原価四億二、六〇九万一、九〇七円で、売上損失二億二、七四五万七、三〇四円、営業損失三億六、六七三万三、五一二円、経常損失三億六、五六八万五、七七六円とさらに損失が増大し、この補填のため、前記買換資産特別引当金の戻入れ及び新たに栄町工場を売却して得た売却益等合計金五億六、四三八万七、九八四円を特別利益に計上して漸く当期利益を金一億九、八〇八万二、九一八円としたが、前記からの繰越損失があるため当期の繰越損失が金四、五八七万一、二五六円となつた。

(2) 業績不振の原因

このような債務者会社の業績不振の最大の原因は、長期に亘る輸出繊維業界の不況であり、債務者会社は、輸出繊維の梱包を主体としていただけに致命的な打撃を受け、受注の安定を欠くこととなつた。殊に、昭和四七年のいわゆるドル・シヨツクを契機として繊維生産の減量、輸出不況により作業量、売上高が低下し、翌年にはいわゆる石油シヨツクも発生して極めて厳しい経営環境に置かれ、その後も本邦企業の海外工場での生産品によるいわゆる三国間貿易の活溌化及び後進国による繊維輸出の増大等の原因による繊維輸出沈滞の影響を蒙らざるを得なかつた。とりわけ第五五期まで毎期二億円から三億円近くを売上げ、殊に第五四、第五五期には総売上高の五割を超え債務者会社の主力営業となつていたタイヤコード関係が、韓国製品の安値輸出や中国の買控え等により我国商社の輸出が振わず、債務者会社においては、第五六期にはほとんど壊滅に近い状態にまで売上げが伸びず、第五七期には売上げ皆無となつたことは、大きな痛手であつた。

更に、最近二〇年間、梱包業が独立し易い業種であることなどから、債務者会社の経営担当者及び中堅幹部計二十数名が次々と退職して独立し、その際、一般従業員三〇名前後及び得意先多数を引抜き、そのため、債務者会社は内外面とも営業上重要な痛手を被つたことも右不振の一因になつているが、かてて加えて、小田彰が債務者会社の代表者として経営の衝に当つていた昭和四七年六月頃までは平静円滑に経営が一応軌道に乗つていたものの、その退任後は、義弟嘉三郎が相談役として経営に参与し、代表者に大西儀作、小寺沢清、細野浩及び小田勉らが順次就任して経営の衝に当つたが、元来、嘉三郎は梱包業の発展に寄与する意思は余りなく、どちらかというと消極的であつた上に、右代表者らとの意思疎通が十分でなかつたことから、債務者会社は経営の一体性一貫性に欠ける嫌いがあり、このような経営陣の弱体化、非力化(積極性の欠如)も債務者会社の経営を物心両面からゆるがす原因となつていた。かてて加えて、昭和三四年に結成された組合は、一部管理職を除く全従業員を結集して強い団結力を以て債務者会社の長びく不況にかかわらず、依然、厳しく賃上げ、一時金の要求を掲げ、真向から人員整理に反対し、そのため、業績に見合わない大量の人員過剰を抱えるに至つたことも、その企業不振の一因となつていた。

(3) 経営再建への努力

債務者会社の労使は、その経営不振を座視していたわけでなく、次のとおり、経営の維持継続のため努力していた。

すなわち、まず営業面については、債務者会社は主力業種である輸出繊維の梱包だけでなく、輸入品、国内品の繊維、さらには化学薬品、機械金属関係、その他産業資材の梱包の受注にも努力し、労使一体で脱繊維梱包化を目指した。もつとも、経営環境がすこぶる厳しく、輸出繊維の不振を補うに至らなかつた。

かくて、債務者会社は、以下のような新規事業の進出を企図し、まず最初に、機械梱包へ進出し、機械本体の本格的な梱包業務には多額の設備資金を要し、また、従前の繊維梱包とは作業内容も全然異なるため、比較的手がけやすい機械部品類の梱包を取扱うこととし、昭和四八年ころから、新規得意先を開拓して徐々に売上げも向上したが、その時かぎりの仕事が多く、また、非常に競争が激しい業種のため人件費を回収するまでには到底及ばなかつた。また、昭和五二年本社三宮工場の売却による手許資金により、水理業務(ビル、マンシヨン等の排水管の清掃)、複写(コピー)業務、自動車修理業務に進出することを決め、同年秋から水理、昭和五三年二月ころから複写の各業務を開始したが、売上高は僅かに過ぎず、また、自動車修理については準備段階にとどまり、結局、いずれも利益を上げるには至らなかつた。

経理面については、債務者会社は、昭和四八年ころから、組合の提案により、余剰人員吸収のため、従前下請させていた資材の生産、運送を自社従業員に担当させ、昭和五〇年三月には、労使交渉のうえ高齢者一二名の希望退職実施により人員削減を行い(もつともこの程度では余剰人員を適正水準にまで減員するにはほど遠いものであつた)、役員報酬について、昭和五〇年三月から昭和五一年三月までは二割、それ以降昭和五二年五月までは一割の棚上げを実施し(もつとも、これは一時的な支払留保にとどまり、同年七月本社三宮工場を売却した後に棚上げ分全額を一括支給した)、更に、昭和五〇年三月以来の労使交渉のすえ、昭和五一年三月役員及び従業員とも毎月第一ないし第四土曜日の午後を臨時休業とし、その賃金等の六割を休業補償するとの協定を締結し、右協定は本件の企業閉鎖に至るまで実施された。それでも、依然債務者会社の資金繰りは苦しく、同年夏季一時金の支払に困却し、労使交渉のすえ、一部を同年一一月一五日払と協定し、更に、これは同月末日と同年一二月二八日に分割払されることになつたが、昭和五二年四月には、魚崎工場を主力工場とし、本社三宮工場を売却するという方針を立てざるを得ない状態に追い込まれた。そして、本社三宮工場を売却した後の昭和五二年八月、代表取締役島村正太郎と取締役小田勉は業績不振の責任をとり辞任した。

以上の事実が一応認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右事実によれば、債務者会社は、長期に亘る繊維業界の不況に苦しみ、加えて人材の流失あるいは経営担当者の弱体化などの内部要因により、第五一期以来営業損失を連続的に出し、第五八期には過去数回に亘る主力工場等かなりの資産を処分しながらなお相当の債務超過となつたことが明らかである。しかしまた、同時に、債務会社は、その間経営を成り行きに任せたというのではなく、営業面においては新規事業の開拓など、また、経理面においては人員削減、賃金カツトなどの経営努力を払い、それにもかかわらず、事態は好転せず、主力資産を失い、債務超過を来たしたものと認めざるをえない。

もつとも、右債務超過は、債務者会社の保有資産たる魚崎工場及び湊町工場(後者は賃借物件)をいずれも簿価により評価した場合であつて、これを換価した場合、債権者主張の如く金三億九、〇〇〇万円にのぼる売却益が出るとはみられないが、いわゆる含み益により、全財産の処分により相当の残余が生ずることは、関係証拠上明らかであるが、一方もし右工場とくに魚崎工場のみでも手放したときは、債務者会社の経営は成り立たず早晩企業閉鎖せざるを得ない状況にあつたことも、前顕各証拠により疎明されるところである。

(三)  その他、経営状況上の問題点

(1) 債務者会社は、前記のとおり会社再建計画を樹立実行してきたが、昭和五三年中においても次のような合理化計画案を樹立し、団体交渉などに臨んだものである。

すなわち、成立につき争いのない疎乙第五四号証、証人島村正太郎の証言(第二回)により成立の認められる同第五〇ないし第五三号証と同証人の証言(第一、第二回)及び債務者会社代表者本人尋問の結果を総合すると、―昭和五三年一月末ころ、債務者会社は、資金が不足し、経営困難な状態に立ち至つたので、組合に対し、従業員三〇名の人員整理及び役員報酬三〇パーセント、従業員賃金一五パーセントのカツト等を内容とする合理化案を提示したが、これに対し、組合は「三〇名もの整理は多過ぎる。土曜日午後の賃金カツトの上に、更に賃金一律一五パーセントのカツトは厳し過ぎる。」との理由でこれを拒否し、団体交渉に応じる気配がなかつたため、右合理化案は本格的な協議がなされないまま反故になつたこと、その結果、当時の代表取締役細野浩は、経営に自信が持てないことを理由に他の取締役二名とともに辞任したが、後任に適任者が得られず、代表取締役に小田勉、取締役に島村正太郎が再任を余儀なくされたこと、―しかし、会社の経営は益々困窮の度を増すばかりで、一層厳しい合理化案を実施しないと経営の維持再建が覚束ない状況になつたので、債務者会社は、従業員三〇名の人員整理、栄町工場の閉鎖及び売却、賃上げ及び一時金支給の三年間停止を骨子とする合理化案を樹立し、これをもつて組合と団体交渉すべく、組合に対し右の新合理化案につき団体交渉方の申入れをしたが、正式の交渉に入らないうち、組合から年末一時金の要求で激しく突き上げられたため、右の新合理化案もそのまま立消えになつたこと、以上の事実が一応認められ、これに反する証人伊吉利哉の証言及び債権者本人尋問の結果は、前顕各証拠に対比してにわかに措信することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(2) 次に、前判示認定のとおり、債務者会社は長期不況により経営の維持継続に喘いでいたのであるが、債務者会社の経営担当者は本件解雇前の団体交渉を始めるに当つてその経営の将来などについてどのように考えていたかについて検討するに、前掲疎乙第一ないし第七号証、第五〇ないし第五三号証と証人島村正太郎の証言(第一、第二回)及び債務者会社代表者本人尋問の結果を総合すると、昭和五三年一二月、組合から同年末一時金の要求がなされたが、当時、債務者会社は、資金繰りが極度に苦しく取引銀行等から相手にされない状態に陥り、右要求に応じられる状況にはなかつたが、代表取締役小田勉は、組合の圧力に負け、参与の小田嘉三郎の了解を得ずに自己の独断で従業員共済会から金一、〇〇〇万円を借り受け、従業員に対して〇・八五か月分の年末一時金(約一、〇五七万円)を支給したこと、嘉三郎は、昭和五四年二月末ころ、初めて右年末一時金の支給を知つたが、これにより、従業員に対する今後の賃金の支払にも事欠きかねない状況に立ち至つたことから、もはや合理化による再建はできないものと判断し、同年三月初めころ、右小田勉と島村正太郎に諮つたところ、両名も引続き会社を経営する意思はないことを明らかにしたので、今後は企業閉鎖のほかないとの意向を固め、その方向で整理を進めることとしたこと、そして、債務者会社は、資金繰りに追われて賃金の支払が難しくなつていたため、同年二月末ころ、売上高の約一割を占めていた栄町工場の売却を決定し、売却の結果代金二億三、〇〇〇万円の支払を受けたが、そのうちから、後記勧奨退職に応じた従業員の退職金約一億円余り及び前記小田勉、島村正太郎に対する未払退職金等の支払にあて、従つて、会社には右売却代金を資金に再建計画を立てる意図はなかつたこと、更に、債務者会社の経営担当者は、今後は魚崎工場及び湊町工場において営業を続けることとなるが、それもせいぜい数か月持ちこたえられれば良く、早晩主力工場である魚崎工場も売却せざるを得ないとの見通しを立てていたこと、以上の事実が一応認められ、これに反する証人伊吉利哉の証言及び債権者本人尋問の結果はにわかに措信することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、債務者会社の経営担当者は昭和五四年二、三月頃にはその再建は不可能であり、所有資産の売却により会社整理(清算)を行つていくほかないと考えていたものと認めるほかはない。

(3) ところが、債権者は、当時債務者会社は再建が可能であつた、と主張し、現に、組合は同年六月二五日に債務者会社に対し再建案を提示しているので、右主張の当否について以下検討することとする。

ところで、債権者の主張によれば、債権者は得意先の回復、経営陣の充実及び従業員数の適正化の三点から債務者会社の再建の可能性を論じているが、そもそも、会社は人的構成及び物的設備を基礎とする有機的企業体である、との観点からすれば、当該会社の企業継続の可能性を判断するには、右三点のほか、会社の資産状況、資金繰りの難易(対外信用)及び業界の一般経済事情等をも参酌するのが相当であるから、本件においても、右の観点に立つて、債務者会社の再建可能性、従つて、右再建案の当否について以下順次判断することとする。

(a) まず、資産状況についてみると、債務者会社は、本件解雇の直後に終る第五八期において、決算上債務超過に陥り、また、その保有していた五工場(うち湊町工場は賃借物件)のうち福島工場、本社三宮工場及び栄町工場の三工場と二個所の社宅は既に資金繰り等のため売却し、残るは魚崎工場及び前記湊町工場のみとなり、しかも、右債務超過を解消させるためには魚崎工場の処分も余儀ない状態に追い込まれていたことは、前判示認定のところから明らかであり、また、債務者会社が昭和五三年末において既に資金繰り困難な状況にあり、取引銀行からの融資が容易でなかつたため、従業員共済会から借金して従業員に対し同年末一時金を支給したことは、前記(2)認定のとおりであつて、そうすると、債務者会社の昭和五四年初中期における資産及び資金繰りの状況は極めて悪化していたものといわなければならない。

(b) 次に、得意先の点であるが、債務者会社代表者本人尋問の結果により成立の認められる疎乙第四七号証と同本人尋問の結果を総合すると、当時代表取締役が累次にわたり交替し、かつ、その他の経営担当者及び中堅幹部相当数の退社などにより、債務者会社の対内的な経営力及び対外的な人的信用度が極度に落ち込んでいたから、仮に、債務者会社が事業を再開し得意先廻りを重ねても、旧来どおりは勿論、その半数も得意先の回復が計れないこと、また、梱包料金の値下げにより注文を取り易くして得意先の回復を計つても、売上高の落ち込みにより却つて損失を招くこと、以上の事実が一応認められ、これに反する証人伊吉利哉の証言及び債権者本人尋問の結果は、前顕各証拠ならびに一般経験則(社会通念)にてらし一方的な供述としてにわかに措信することができないし、他に右疎明を覆えすに足りる証拠はないから、債務者会社の得意先の回復は容易でないものといわねばならない。

(c) また、経営担当者の点について考えると、債権者が経営の中心として代表取締役に推せんする小田嘉三郎は、既に相当の老齢であり(明治四一年四月一日生)、かつまた、梱包業の維持発展に関心がなく、自ら経営者となる意思のないことは前判示のとおりであり、他に経営担当者及びその補助者を得ることの困難な状況にあることは、右(a)認定説示のところ及び前顕疎乙第四七号証にてらし明白であつて、そうだとすると、債務者会社の今後の経営担当者等の選定も容易でないものがあるといわねばならない。

(d) 更に、従業員数について考えると、確かに残留従業員が二九名になると、仮に他の条件が債権者主張のとおりであるとすれば、債権者主張の従業員数からみた採算ラインを割るとはにわかに考え難いところであるが、それでも、債権者主張の右採算ラインを維持するには得意先の八五パーセントの回復が必須の条件をなしているが、その回復が容易ではないことは前示(b)説示のとおりであるから、従業員の生産性が相当高度に保持されなければならない(この点は前顕疎乙第四七号証により明白である。)が、これも、人件費の占める割合の高い梱包業界であることからすると、甚だ困難なものがあり、結局、右採算ラインの保持は、前記従業員数であつても、なお容易でないものがあるといわねばならない。

(e) 最後に、業界の一般経済状況であるが、前判示認定のとおり、繊維輸出業等の業界は長期に亘り不況不振のままであつて、今後いつ回復するか分らない状態にあり、他の新規事業への転換の困難な債務者会社は、右業界の景気が回復しない限り、不振から脱却できる可能性は少ないものと、一般経験則(社会通念)にてらし推断するに難くはない。

(f) 以上の点をかれこれ総合すると、債務者会社の再建は、人的物的資源の不備などにより、殆んど不可能とみるのが相当であるといわねばならず、従つて、債権者の前記主張は採用することができない。

(4) ところで、債権者は、債務者会社が再建困難となつている一つの原因として退任役員に対するお手盛りによる高額退職慰労金の支払いにより会社財産を食い潰したことを挙げているから、右退職慰労金支払いの妥当性等について検討する。

債務者会社の取締役会が昭和三八年に役員の退職慰労金の額を従業員退職金規定による金額の二倍と決定し、また、昭和四七年に勤続二〇年以上の役員に対しては右金額の七分の八倍の退職慰労金を支払うことを決定したことは当事者間に争いがない。

また、当事者間に争いのない事実に、成立につき争いのない疎甲第四三号証の一ないし三、第四四号証の一、二、疎乙第五五号証、弁論の全趣旨により成立の認められる疎甲第三九号証及び証人島村正太郎の証言(第一、第二回)ならびに債務者会社代表者本人尋問の結果を総合すると、債務者会社が昭和四七年八月から昭和五四年までの間に支払つた役員、相談役に対する退職慰労金等は別紙役員等退職金一覧表記載のとおりであるが(但し、大西儀作は金一、〇九三万六、〇〇〇円、岡田匡彦は金一四五万七、〇〇〇円である。また、そのほかに細野浩の昭和四九年一月取締役退任による退職慰労金は金四八一万七、〇〇〇円、小田彰の後記相談役退任による退職慰労金は金六八万四、〇〇〇円である)、大西儀作、岡田匡彦を除く右退任者に対しては、退任の理由を問わず自己都合の場合よりも有利な会社都合の場合の支給率が適用され(但し、小田彰、島村正太郎のように在任二〇年以上になると、支給率は同一であるため有利不利の問題は生じない)、また、役員については、株主総会の承認を受けたうえ、前記基準に則り取締役会で右金額が決定されたこと、右退職慰労金の支払いは会社に資金のできるまで留保され、すなわち、小田彰(但し、代表取締役退任分)については大阪福島工場、島村正太郎、小田勉については栄町工場、その他の者については本社三宮工場の不動産売却代金により支払われた反面、支払いが著しく遅延した者に対しては年六分の利息を附加して支払われたこと、更に、小田彰は、昭和四年四月から四三年余の間引続き取締役を務め、戦後はずつと代表取締役の地位にあつた者で、前記基準によると、その退職慰労金は金四、六八一万一、〇〇〇円となるが、取締役会で、永年にわたる社業への功労が考慮され、特別加算により退職慰労金を金五、〇〇〇万円と決定され、また、嘉三郎については、取締役会は、相談役の算定の基準がなかつたため、基本給を金三五万二、〇〇〇円として勤続年数一四年七か月に対応する従業員退職金規定の支給率に更に一・八倍を乗じて金一、〇〇〇万円と算出したうえ、更に多年会社の経営を殆んど無給で指導してきた功労を考慮して金二、〇〇〇万円を特別加給し、その退職慰労金を合計金三、〇〇〇万円と決定し、また、代表取締役退任後引続き昭和四九年二月末まで相談役を務めた小田彰に対しても、取締役会は、前同様相談役退任の退職慰労金六八万四、〇〇〇円の支給を決定したこと、以上の事実が一応認められ、これに反する証拠はない。

右認定事実によれば、債務者会社の役員、相談役に支給された退職慰労金は、通常の手続を経て行われ、また、金額の上でも著しく不当に高額であつたとはいいがたいから、右支給自体直ちに不法不当とはなしがたいが、既に債務者会社が長期不況により経営危機に見舞われていた時期において長期勤続者の支給率を増大させ、あるいは、何らの減額措置を採らず基準どおり退職慰労金を支給したことには、疑問があり、また、実質上退任しなかつた者まで累次に退職慰労金を支給するに至つては冗費の支出として、前同様、すべて不当であるといわざるをえないが、そうであるからといつて、債務者会社を食い潰すことを企図したものとは到底認めがたい(認めるに足りる疎明がない)のみならず、前判示認定の役員、相談役に対する退職慰労金支払総額は、金一億四、九七六万円であり、別紙資産売却一覧表記載の資産売却による債務者会社の手取金一四億〇、五一八万八、九九三円の約一割にすぎないこと、前判示認定のとおり、右退職慰労金は債務者会社に支払資金が確保できたときに支給され、退職時に即時支払われたわけではないこと及び前判示の債務者会社の経営の状況ならびに業績不振の原因などからすると、債務者会社の右退職慰労金の支払いがその経営悪化に消長を来たしたとはにわかになしがたいところであるから、これに反する債権者の前記主張は採用することができない。

(四)  昭和五四年時における債務者会社の現況(以上のまとめ)

以上認定説示のとおり、債務者会社は、長期に亘る繊維輸出業界の不況等により業績が挙がらず、第五一期(昭和四七年度)以降引続き営業損失を出し、かつ、鰻のぼりに増加する一方であり、もつとも、その間、債務者会社は手をこまねいて事態を静視していたわけでなく、新規事業への進出あるいは賃金カツト等の合理化計画の実施によつて営業成績の向上を計る反面、その企業維持のため、経営資金捻出の必要上多くの会社所有不動産を逐次売却し、経営資金に注ぎ込んだのであつたが、昭和五三年の二回に亘る思い切つた人員整理を伴う経営合理化案が不発に終つたこと及び昭和五四年中期には目ぼしい資産としては魚崎工場等を残すのみとなつたため、その後の再建計画の樹立及び実行は殆んど不可能に陥り、いわゆる予防的色彩をもつてではなく、客観的諸事情をふまえて、企業閉鎖もやむを得ない状況にあつたものであり、ここに至つた原因は、前記の如き客観状勢が主体を占めるものとはいえ、なおそれ以外に、債務者会社経営担当者の経営能力の不足あるいは組合の経営再建のための思い切つた協調の不足という当事者の事情も加味されなくてはならないものといわざるを得ない。

(五)  昭和五四年三月以降の労使交渉の経過

当事者間に争いのない事実に、前掲疎甲第五六号証、疎乙第二三号証、第四七号証、成立に争いのない疎甲第二号証、第四ないし第一三号証、第一四号証の一ないし三、第一五、第一六号証、第一八ないし第三〇号証、第四九号証の一、二、第五〇号証、第五二号証の一、第六三号証、疎乙第八、第九号証、第一一ないし第二六号証、第三〇ないし第三四号証、第三六ないし第三八号証、抹消部分を除いて成立に争いがなく抹消部分については証人島村正太郎(第一回)の証言により成立の認められる同第二七号証、第三五号証、債権者本人尋問の結果により成立の認められる疎甲第三号証、第一七号証、第四八号証、第五一号証、第五四号証、債務者会社代表者本人尋問の結果により成立の認められる同第五三号証、弁論の全趣旨により成立の認められる同第三七号証、第五二号証の二及び証人島村正太郎(第一、二回)、同伊吉利哉の各証言ならびに債権者・債務者会社代表者各本人尋問の結果(いずれもその一部)を総合すると、次の事実が一応認められる。

(1) 栄町工場閉鎖までの労使交渉

前記のとおり、昭和五四年三月初めころ、会社の実権を握る嘉三郎は企業閉鎖の方針を固め、また、栄町工場の売却も売買予約まで進んだので、組合や管理職の理解を得るため、債務者会社の提案により経営の継続を議題に、同月二二日、代表取締役小田勉、取締役島村正太郎及び嘉三郎ならびに組合三役のほか、管理職八名が集まり協議会を開いた(この協議会が労働協約に定められた労使協議会であるのかどうかは明瞭でない。以下の協議会も同様である)。席上、嘉三郎は、会社の経営が苦しく四月分給料の支払も困難な実情にあるが、給料と今後予想される退職金の支払確保に全力を挙げること、そのため栄町工場を売却すべく同年四月五日までに同工場を閉鎖して魚崎工場に移転したいこと、これによつて、予想される退職金の半額の一億円見当の確保を見込み、さらに魚崎工場も売却しなければならないことになるかも知れないが、今のところ会社の解散までは考えていないこと等を説明のうえ、(ア)四月二八日を申出期限として従業員より希望退職者を募集する、(イ)その募集条件等は組合と協議する、(ウ)退職後、会社の取扱業務を独立して行いたい者は計画書を提出されたい(湊町工場を提供する用意がある)、(エ)全く新しい再建案があれば提出されたい旨を提案した。

これに対し、組合は、企業閉鎖ではなく、会社の再建を前提に「会社再建のため栄町工場の売却には反対しない。魚崎工場の売却は一切認めない。会社側が再建のため希望退職者の募集を行うのであれば、希望退職の条件について協議することは拒否しない。栄町工場の閉鎖は希望退職者の募集条件について合意が成立した時とする。」との方針をもつて今後の交渉に臨むことに決めた。

債務者会社は、同年四月三日、組合に対して口頭で、「(イ)栄町工場を四月九日に閉鎖する、(ロ)その代替工場として湊町工場の操業を再開する、(ハ)希望退職の条件等は別途協議する、(ニ)今後の経営上の諸問題については右三件と平行して協議し、経営再建に総力を結集するが、万一、再建不可能と判断したときは、会社、管理職及び組合の三者で協議して善後処置を決定する。」との修正案を提示し、これに対し、組合は、栄町工場の閉鎖は希望退職者募集の条件について合意が成立するまで了承できないが、その余の提案については了解する旨を回答した。

同年四月一九日、前同様の協議会が開かれ、席上、債務者会社は、「組合等の要望を入れて栄町工場の移転先を魚崎工場から湊町工場に変更する、栄町工場閉鎖の期限を四月二四日に延期する。四月分給料のうち三〇パーセントは五月一〇日に支払う。五月分給料は四回払いとし、六月分給料は栄町工場の処分ができるまでその支払をしない。」旨を提案したのに対し、組合は、翌二〇日ころ、「希望退職者募集の条件について合意が成立しない以上、栄町工場の閉鎖には同意できない。給料の分割払いには一切応じられない。」旨を回答した。

続いて、同月二一日にも同様の協議会が開かれ(約三時間)、嘉三郎も出席し、同人は、「栄町工場を処分しないとどうにもならず、四月二四日限り同工場を閉鎖するので、異動発令ずみの従業員は速やかに湊町工場へ移転してほしい。」旨を強く要請したが、組合側は、希望退職者募集の条件についての協議が先決である、と反撥したため、嘉三郎は、「希望退職者の募集は当分しない。栄町工場売却後に改めて協議すればよい。魚崎工場は売却しない。四月分給料の分割払いはとりやめる。」と訂正発言し、一部対立のままに終つたものの、組合側も譲歩の意向がある気配を示した。

そして、組合は、同年四月二六日、希望退職者の募集については別途誠意をもつて労使協議することを条件として栄町工場の閉鎖及び湊町工場への移転に同意したので、同月末日までに栄町工場は閉鎖された。

(2) 全面業務停止決議までの労使交渉

債務者会社は、その後検討の結果、退職希望者には早く退職させるのが次善の策であるとの結論をとり、そこで前記嘉三郎の発言にもかかわらず積極的に希望退職を呼びかけることを決め、同年五月一五日ころ、組合と管理職に対し、(イ)五月分給料のうち五〇パーセントは六月に三回に分割して支払う。六月分については見込みは立つていない。(ロ)現状では経営を維持できず、自己都合による退職金を辛うじて確保できるかどうかという状況にあるので、退職金支払の可能なうちに退職するよう取計らわれたい等を記載した申入書を交付する一方、全従業員に対しても、会社の窮状を訴え協力を求める趣旨の「お願い」と題する書面及び前記申入書を送付して退職等による協力を求めた。組合は、債務者会社の右措置に憤慨し、組合員に宛てた右書面を回収したうえ、会社に一括返却した。

組合は、同年五月一六日に春闘賃上げ要求等のため、同月一八日には右賃上げ要求と前記「お願い」と題する書面に対する抗議のため、同月二四日には給料分割払いの問題解決と会社の再建案提示方要求のため、それぞれ会社と団体交渉を行い、その際、五月分給料のうち五〇パーセントは同年六月一〇日前後に支払う旨の合意が成立した(もつとも、実際は栄町工場売却代金の入金により、右期日前の同月二日に支払われた。なお、給料の分割払いはこれが初めであつた)。

一方、債務者会社は、同年五月上旬ころの取締役会で、同年六月一二日に業務停止を附議事項とする臨時株主総会の開催を決定し、同年五月二五日付株主総会通知書を郵送して株主にその旨の通知をなしたところ、間もなくこれを知つた組合は、右附議事項を全面的な業務停止と断定し、直ちに、会社を追及するに至つたが、これに対して、債務者会社は、当初、栄町工場のみの業務停止であると言い張つていたが、同年六月二日、嘉三郎は、組合三役や管理職と代表取締役社長小田勉、取締役島村正太郎をも交えて協議した席上、「右総会の議題は栄町工場の業務停止であるが、総会は全面廃業、経営権の放棄を決議するようになるだろう。そのときは、決議のとおり実行するが、営業が続けられなくなつても、解散はしない。」等と述べて今後の方針につきほぼ真意を明らかにするとともに、右廃業になつた場合、従業員が個々に会社に替つて梱包等の業務を続けて行くことを強く勧誘した。これに対し、組合側と管理職は、全面業務停止に絶対反対である旨を表明した。

また、債務者会社は、右同日、全従業員宛に「重ねてのお願い」と題する書面を郵送し、経営維持ができないので、自己都合による退職金の支払が可能な間に退職を決意し、同月九日午前中までに退職を申出るべく、もし、これに応じないときは事業を閉鎖する旨を通告するとともに、管理職と組合にも右通告と同趣旨を通知して会社に協力を求めた。

しかし、組合は、同月七日付警告書を送付して、債務者会社に対し、前記二度に亘る組合員個人宛文書の送付は労働協約の事前協議約款に違反し、労働組合を無視した行為であり、再度このような行為に出れば断乎たる対抗手段を講ずる旨を警告した。

また、組合は、同日付要求書を送付して、債務者会社に対し、会社の再建について労使協議会の開催(組合の再建案は席上口頭で提案する)、今後の退職者に対する退職金(自己都合によるもの)の三〇パーセント割増支給及び組合の春闘賃上要求の趣旨にそつた賃上の提示を要求したところ、これに対し、債務者会社は、同月九日付回答書を送付して、組合に対し、右要求のうち、再建案については事前に文書による提案を求め、その余の要求には応じられない旨を回答した。

また、組合は、同月八日付要求書を送付して、債務者会社に対し、栄町工場につき売買契約の成立の有無、内容等を釈明するよう要求したが、債務者会社は、同月九日付回答書を送付して、組合に対し、会社の資産状態を知らせる必要がないとの理由で、右要求も拒否した。

同月一一日、組合は、不動産登記簿を閲覧して既に栄町工場が売却済であることを知るや、同日付抗議書を送付して、債務者会社が右売却事実を故意に隠蔽していたことを厳重抗議し、更にまた、同日付抗議書等三通を送付して、債務者会社に対し、(イ)栄町工場の売却金額等が隠されていては資金面が不明のため、再建案の審議は不可能に近いこと、また、(ロ)翌一二日招集予定の臨時株主総会の議案は労働協約に基づく事前協議及び組合の同意を経ずに組合員の生活権を侵害し、雇用の保障を破棄しようとする暴挙であり、絶対に認められず、右総会で全面業務停止が議決されても組合はこれに従わないこと等の抗議及び通告をなした。

なお、同月一一日ころ、債務者会社に対し、その最大の得意先である親和興業株式会社から電話により即時取引停止の通告があつたが、組合は、これを右臨時株主総会前に会社が業務停止を既定のものとして取引先に根回ししたものであるとして、会社に対し、その旨を抗議するとともに同様の根回しの即時中止を申し入れた。

(3) 全面業務停止決議後の労使交渉

債務者会社は、同年六月一二日の臨時株主総会で業務停止の決議をしたとして、その後は一転して企業閉鎖を明言するに至つた。

小田嘉三郎は、同月一四日、西宮市の自宅において、組合三役と管理職代表及び取締役井上孝夫を交えて協議会を開き(一時間一〇分)、席上、前記総会の決議に従い業務を全面閉鎖し従業員全員に退職してもらう方針で、速やかにこれを実施する意向を表明した。これに対し、組合側は右総会の決議は、事前協議をしておらず、労働協約に違反する違法のものであり、右方針には全面的に反対する旨を明確にした。

なお、当時既に出社していなかつた代表取締役小田勉と取締役島村正太郎は、同月一五日付内容証明郵便で、組合に対し、病気療養中のため交渉の権限を嘉三郎に委任する旨を通告し、その後の団体交渉にも出席しなかつた。また同日、債務者会社は組合に対し夏季一時金の要求を経営困難のため拒否する旨を回答した。

同月一八日、前記嘉三郎方において、団体交渉が行われ(一時間二、三〇分)、席上、同人は、組合の前記労働協約違反の主張について、弁護士とも相談して検討した結果右総会の決議は協約に抵触していないと考えるので、会社としては既定方針により実行していく積りである旨を回答し、また、栄町工場の売却代金等の釈明要求に対しても、「会社の資産のことだから、いう必要はない。」と述べてこれを突つぱね、また、管理職から提出された再建案につき、数字の説明がなく話にならないので断つた旨を説明し更に、「全面閉鎖は時間の問題であるが、組合の再建案を無視して強行したくないので根拠のある起死回生の具体案があれば、充分検討し真剣に話し合う用意がある。」旨を述べて、組合に再建案の提出を促し、組合側も再建案の提出を約束した。なお、組合が同年三月二二日以降会社から繰返し再建案の提出を促されていたにもかかわらず、これに応じなかつたのは、債務者会社では、会社の存続を前提とせず、従業員が独自に会社の業務を続けていく意味での再建を指していたのに対し、組合では、あくまで会社を存続させる意味での再建を考えていたのと、再建案は本来会社から提示すべきものであるとの見解をとつていたためであるが、嘉三郎の右発言は会社を存続させる前提で再建案の提出を要請したものと理解したので、再建案の提出を応諾したのであつた。

そこで、組合は、執行部で検討したうえ、「旧役員は九月末日限り全員退陣し、新たに小田嘉三郎を代表取締役に選任し、他の役員は社内から登用する。従業員は三五名とし、過員につき希望退職者を募集する。月間売上高を従前の平均金二、〇〇〇万円の八五パーセントに当る金一、七〇〇万円と試算し、また、商権(得意先)の回復に努力する。水理業務を廃止する。人件費は売上高の五〇パーセントまでとする。」ことを骨子とする再建案を樹立した。

同月二五日、前記嘉三郎方で開かれた団体交渉の席上、組合は前記再建案を提示し、これに対して、嘉三郎は、右再建案には経営陣及び資金面等に困難な問題がみられたが、慎重に対処する必要があると考え、組合に対し、「従業員の死活問題であるから、再建案に対しては慎重に検討し真剣に話合う用意がある。管理職に意見を求め、専門家に診断してもらい、場合によつては、組合に対し質問あるいは資料の提出を求めたい。」等と述べ、右再建案を慎重に検討することを約束し、間もなく、知友の中小企業診断士加藤芳郎に右再建案の診断を依頼し、また、管理職にも二回に亘り同再建案につき諮問した。

右加藤は、同年七月八日、債務者会社の経営分析の結果、再建案については売上面、資金面及び経営担当者面に問題があり、殊に人件費倒産をまねくおそれが大きいので、右再建案の実行は極めて困難である、との結論を得た。

同月九日、前記嘉三郎方で一時間余りの間、団体交渉が行われ、まず、嘉三郎は、右加藤のなした診断書写しを組合に交付したうえ、「再建案では、経営トツプに私が挙げられているが、御免蒙る。他の役員に君達の中からとあるのも断る。その他については診断が下されているので、私の意見は、差し控える。結論として、組合の再建案には応じられない。会社の方針どおり進めるので、任意退職するか、あるいは罷めて頂く。組合の反対もわかるが、出るところに出て黒白を争いたい。結局双方の考えはすれ違いであり、私の健康も許さないので、今後の団交は断る。」と回答し、組合側が、右診断書を検討した結果、不明点や疑問点があれば質問したい、と要求したのに対して、「団体交渉の席上でというわけにはいかないが、申出は右加藤に取り次ぐ。」と答えた。しかしそれでは、組合側は、納得せず、あくまで会社の再建を図るべき旨を主張したが、嘉三郎は、「経営継続の基礎は既に失われており、その意思はない。」と述べてこれを拒否し、かえつて、退職金の支払える間に企業を閉鎖したいことを強調したため、両者は物別れに終つた。

(4) 労使交渉の打切り後の状況

組合は、同月一〇日、要求書を交付して、嘉三郎に対し事前協議と同意を必要とすると決めた労働協約を無視して臨時株主総会を強行して業務停止を決定し、また、慎重な検討、協議をしないで組合の再建案を拒否したことは、組合を愚弄するものであり、断乎企業閉鎖、会社解散に反対する旨を表明するとともに、債務者会社は再建案を提示し経営責任を組合と地域社会に明らかにすること及び組合との協議成立まで業務停止、閉鎖等を得意先等に通知しないことを要求した。

他方、当時既に債務者会社の勧奨に応じて従業員二十数名が任意退職し、さらに若干の退職希望者の存在が確認されたので、債務者会社は、同日、全従業員に対し、「最后のお願い」と題する書面を郵送し、会社の実情を説明して早急に希望退職の申出方を勧奨したところ、一〇名余りの退職希望者が出たが、組合は、即時、債務者会社の右措置に対し厳しく抗議した。

更に、組合は、同月一二日、一四日、一八日及び同年八月一八日、債務者会社に対して業務停止及び解雇の撤回などを議題とする団体交渉を申し入れたが(議題の中には、一部、春闘賃上げ、夏季一時金の要求も含まれていた)、債務者会社は、もはや団体交渉によつては解決不可能であるとの理由で、右申し入れをすべて拒否した。

右の事実が一応認められ、債権者及び債務者会社代表者各本人尋問の結果中、右認定に反する部分は前顕各証拠と対比してにわかに措信できず、他に右認定を覆すに足りる疎明はない。

(六)  当裁判所の見解(結論)

ところで、一般に労働協約における事前協議条項は、賃金、労働条件、諸規定の改廃、解雇、配置転換等にあたり、会社側の独断専行を避け、組合と協議してその意見を充分反映させるとともに、他方、会社の趣旨とするところを組合側に了解させ、できる限り相互の理解と納得が形成されたうえ、事を処理しようとする趣旨から定められたものと解するのが相当である。

したがつて、労働条件等につき事前協議約款が締結されたときは、会社は、組合と団体交渉などを通じて誠実に納得のいく説明を行いその了解を得られるよう尽力すべきであり、単に形式的に団体交渉の機会を数回もつたとか、一応の説明を行つたとかいうだけでは、事前協議を行つたことには到底ならず、右約款不履行というのほかないが、必要な協議の程度については、一義的に断定することは困難というべく、具体的な労使間の実情をふまえたうえ、協議の回数、時期、内容及び会社の経営状況ならびに従前の経緯など諸般の事情を考慮して、これを決するのが相当であると解される。もつとも、協議約款は同意約款ではないから、諸般の事情から判断して会社が組合の了解を得るべく尽力したにもかかわらず、結局、組合の了解を得るに至らなかつたとしても、事前協議約款に違反するものでないことは、いうまでもない。

本件について考えると、今回の一連の交渉は、昭和五四年三月二二日に始まり、以後同年七月九日までの間、前後一二回に亘り行われ(うち、団体交渉八回、協議会四回)、その間、希望退職問題及び組合に対する再建案提示の要求は第一回目の交渉から話題になつていたものの、第八回交渉(同年六月二日開催)において初めて債務者会社から企業全面閉鎖の問題が正式に提案され、これが本格的に論議されるに至つたのは、続く第九回交渉(同月一四日開催)からであり、組合が債務者会社の要請により再建案を提示したのは第一一回交渉(同月二五日開催)においてであつて、債務者会社は、最終の第一二回交渉(同年七月九日開催)の席上、反対資料(診断書)を配布したうえ、右再建案を拒否し、一方的に団体交渉の打切りを宣言して爾後の団体交渉に応じなかつたものであり、最終回の交渉には一時間余りを費やし、若干の質疑応答があつたとはいえ、右再建案につき充分な審議が尽されたといえるかは些か疑問が残り、また、これまで企業閉鎖による解雇(退職)を前提とする労働条件等については具体的な協議は行われていないのであるから、右の事実関係のみをとらえると、交渉の回数内容にてらし外形上事前協議として不充分なところがなかつたとはにわかにいいがたいところである。

しかしながら、債務者会社は、長期不況による業績の慢性的不振のため、新規事業の採用あるいは賃金カツト等の諸々の合理化計画の実行にもかかわらず、最近は毎年営業損失を出し、かつ、増加の一途を辿り、資産の売却によりこれを補填してきたものの、残存資産も少なくなり、既に企業閉鎖必至の状況に追い込まれて来たものであり、このことは、日々の業績を目の当たりに直視し、資産売却による経営の漸次縮小化を身をもつて経験してきた従業員及び組合の常々熟知するところというべく、本件企業閉鎖は、単なる先行不安による予防的廃業ではなく、倒産直前の廃業というべく、実質的に倒産と選ぶところはない。しかるに、組合は、専ら債務者会社の現状維持による企業継続ないし再建に固執し、従来から人員整理を嫌忌し、昭和五三年に二回に亘り債務者会社が提唱した人員整理を含む合理化案に頭から反対し、過員をかかえる事態を招来させ、かつまた、今回組合が提案した再建案も、現状維持を前提とした一方的な有利素因の強調に留まり、経営分析上、到底成り立ちがたい実現不可能な内容のものであつて、従つて、右の再建案を協議してみても、結局は平行線を歩むことが予想されるだけで、しかも、従前における組合の態度からすると、第二次的な解雇(退職)問題につき早晩具体的な協議に入ることは到底期待しがたいところである。のみならず、債務者会社は、前記一二回の交渉の過程において、組合に対し、多少の紆余曲折はあつても、開陳すべきものは適宜告知して円滑に協議を重ね、企業閉鎖のやむなきに至つた以上、平行線を辿るほかない再建問題に終止符を打ち、残された従業員及び債権者対策の円滑迅速な処理にまわることを企図したものであつて、組合をないがしろにし、殊更再建問題を放棄したものとは到底認められない。

したがつて、企業閉鎖に関する交渉は僅か三回もたれただけで回数的には決して多いとはいえないが、一連の問題について約四か月の間に前後一二回の交渉がもたれ、企業の将来性を含む全般の問題について協議されてきたこと及び前記団体交渉打切り後も組合の態度に変化がないことをも勘案すると、本件については事前に組合が了解しうる程度に誠実に協議がなされたものといいうるから、債務者会社が右段階で協議を打切り本件解雇に及んだことは事前協議約款に違反するものとはいえない。

3  以上のとおりであるから、本件解雇が労働協約に違反する無効のものであるという債権者の主張は、採用することができない。

四  本件解雇の不当労働行為該当性

前記三認定説示のところからすると、本件解雇は、債務者会社が経営不振に陥つて行き詰つたため業務閉鎖のうえやむを得ず行つたものであつて、本件全疎明によつても、債権者主張のように、債務者会社が昭和五三年末一時金闘争を契機として組合の存在を嫌忌し、これを破壊して労使関係を一挙に解消することを決定的な動機としてなされたものとは認められないから、債権者の本件解雇が不当労働行為に該当するとの債権者の主張は理由がない。

五  本件解雇と解雇権の濫用

前判示認定説示のところから明らかな如く、本件解雇は、債務者会社が長期の不況により経営が行き詰まり、既に保有資産の大半を失い、もはや企業再建が極めて困難となり企業閉鎖のほかない状態に立ち至つたため、退職金引当資産のあるうちに従業員の解雇に踏み切つてなされたものであつて、これにより経営者の不当な利益を計ることを企図したものではなく、全疎明によるも、他に債務者が解雇権を濫用して本件解雇を敢行したという事情は認め難いから、債権者の、本件解雇が解雇権の濫用であるとの主張も採用することができない。

六  結び

以上のとおりであるから、本件解雇は有効というべく、その無効を前提とする本件仮処分申請は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないので、これを却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 砂山一郎 安井正弘 服部廣志)

別紙賃金債権目録、資産売却一覧表、決算一覧表〈省略〉

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